なるほど、自由、平等、博愛ってこういうことだったのか

私が現在通うフランスの現地校に通う保護者のためのフランス語講座では語学だけだなく、学校システムのこと、さらにフランス社会について学びます。

その中で、先日フランスの有名なスローガンである「自由、平等、博愛」について学びました。

何となく言葉としては知っていましたが、いざ学んでみるとそれぞれの言葉が現在の共和国のシステムに組み込まれていることを知りました。今回は「自由、平等、博愛」がどうフランスのシステムに体現されているかをご紹介します。

目次

「自由の女神」とはフランスそのもの

「この絵を見たことある!」と思われた方も多いのではないでしょうか?ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」です。フランスの7月革命が題材となった絵です。

このトリコロールを持って先頭に立つ女性こそ「共和国フランス」なんだそうです。「マリアンヌ」という名前を持つこの女性は、民衆が勝ち取った「自由」を象徴します。まさに「自由の女神」です。

自由の女神マリアンヌは公の場に必ず掲げられす。例えばこちらのロゴ。

フランス政府が発行する資料や公共施設で非常に良く見かけるものですが、トリコロールの国旗の中にマリアンヌがアレンジされています。共和国フランスといえばマリアンヌなのです。

マリアンヌはフランスの学校の入り口で白い鏡像として飾られていて、小さい頃からその存在を教育されます。

自由の象徴を毎日目にすることで、フランスの庶民が革命で手に入れた「自由」を無意識レベルで叩き込まれていきます。

現代の「博愛」とは社会保障のこと

さて、次は「平等」と行きたいところですが、授業の内容に沿って「博愛」を先にご紹介します。

「博愛 (fraternité )」の語源は「兄弟(frère )」なんだそうです。フランス革命で立ち上がった市民は身分や出自を超え皆兄弟である、という考えからきています。正直、日本語訳の博愛も友愛もちっとも意味がイメージできない言葉だと思っていたので、「兄弟」と聞いてようやく腹に落ちました。「人類みな兄弟」ということなんですね。

この「人類みな兄弟」の精神は「平等」とどう違うのかな?とずっと疑問だったのですが、要は「社会保障」のことなんだそうです。「社会保障」で「家族のように支え合う」ということです。

この「博愛」のお陰で、フランスの公立幼稚園から大学まですべて授業量が無料になっています。

「平等」と世俗主義

さて、最後に「平等」です。この「フランスにおける平等」の概念の理解が外国人の保護者にとって最も重要だと感じました。

まず「平等」で大事な概念は「男女平等」。特に議会の男女が同じ人数になるよう議員を選出する「パリテ」と呼ばれる施策が進められています。その結果、議会における男女差は徐々に縮まり、2017年の総選挙では女性が38%を占めるまでになりました。さらに2012年には「男女同数内閣」が誕生し、2017年に政権についたマクロン大統領も22人の閣僚中11人を女性大臣に任命しました。パリテの効果でフランスの政界では急速に男女比の格差が縮まっています。

こうした流れの中、学校でも「Garçons /Fille (男子/女子)」ではなく、「Fille /Garçon (女子/男子)」と表記されるようになったそうです。無意識の差別をなるべく起こさせない、という配慮が教育現場でなされています。

「平等」でもう一つ重要なのは「宗教間の差別をしないこと」と「世俗主義」です。

まず宗教間の差別をしないというのは現代の国際社会では普遍的概念なのであまり説明はいらないでしょう。フランスではキリスト教徒のほか、ユダヤ教徒、そしてアラブ・アフリカ系移民を中心としたイスラム教徒が多く住んでいます。これらの宗教は当然にして信仰の自由が保障されています。

ところがフランスにおける「平等」が特に特徴的なのは「世俗主義」という考え方です。フランスでは政教分離であるとともに、教育現場などでも宗教色は原則排除されているそうです。

例えば、今はクリスマスシーズンでクリスマスツリーなどの飾りますが、キリスト教を連想するような天使やイエス誕生の場面を飾り付けしたりはしません。先生たちもキリスト教徒であっても学校で十字架のネックレスをしないなど、教育現場に宗教を持ち込まないようにしていると先生は説明して下さいました。

背景としては、フランス革命以前まで教会が市民ではなく王家と結びついて権力を貪ってきたという反省があるようです。再び同じことが起きないよう教会は徹底して政治から遠ざけられました。フランスでは多くの人が結婚式を教会ではなく市役所で行うぐらい世俗化が進んでいます。

ところがこの「世俗主義」はしばしば、キリスト教以外の一部の宗教の価値観とぶつかってしまいます。例えばムスリムの女性が身につけてるブブカが学校で禁止されて、大問題になりました。イスラム教徒からすると「信教の自由が保障されるべきだ」と考えますが、フランス人からすると「いかなる宗教もフランスの公的な場面では特別扱いできない」という考えになります。

これは価値観の違いですからこの両者の意識を埋めるのは中々難しいでしょう。ただそうした違いをフランスの現地校に子どもに通わせる保護者たちが知っておくことは大切です。「世俗主義」についての予備知識があれば、「差別された!」といきなり誤解せずにすむからです。

実際、一緒に学んでいる外国人の保護者たちもこの話を興味深く聞いていました。私のクラスは20人のうち、4割が南米やアジア、アフリカのキリスト教徒、4割が中東のイスラム教徒、その他が私のような仏教圏あるはその他の地域という構成です。その中で夫婦で通っているイラク人の奥さんが「イラクでは大学以外は男女共学する機会すらないけど、今は主人とここで学んでいるのは何だか不思議ね。だけど悪くないわね」と笑って言っていました。

全く異なる文化の国で暮らすことは少なからずストレスですが、「自分の国とは違う」ときちんと理解していればストレスも減ります。また少し余裕を持って外国暮らしの違う面も楽しむことができるのではないか?と思います。

例えば世俗主義に馴染もうとするムスリムの女性たちの工夫として面白いなと思ったことがあります。それは同じクラスのムスリムのお母さんが寒い日にステキなベレー帽を被ってきたことです。フランスで買ったベレー帽で上手に髪を隠していました。これだと街を歩いていても一見ブブカとはわかりません。もちろん、伝統的なブブカも素敵だとは思います。ですが自分のライフスタイルや信念を守りながら、その土地の生活を楽しむというのも良いなと思いました。その次の週、別のムスリムのお母さんが可愛い毛糸の帽子を被ってきました。宗教や信条の問題はデリケートな問題ですが、そうして上手に折り合いをつけていくのも彼女たちの「世俗化」なのかもしれません。

というわけで、フランス語教室で教わった「自由・平等・博愛」のお話でした。現実には沢山の課題や矛盾を抱えるフランス社会ですが、この崇高な建国の理念をシステムに組み込み実現させようという信念を感じて少し感動しました。単なるスローガンではない「自由・平等・博愛」という切り口でみると、よりフランスのことが理解できるようになるかもしれません。