子どもと遊び方がわからない人へおススメの一冊『あそびのじかん~こどもの世界が広がる遊びとおとなのかかわり方』

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子どもとの遊び方がわからない

告白します。正直言って子どもと遊ぶのは好きではありません。このブログのテーマの一つがplayであるにもかかわらずです。

私の中で「子どもの遊び」は子ども同士でするもの、子ども自身がするものです。私が年の近い3人兄弟の長女で、子どもの世話に忙しい親にあまり遊んでもらった記憶があまりないからかもしれません。(旅行やピクニックなど家族の想い出はたくさんありますが)。なので、いざ子どもができてからは「ママ遊んでよ~」と言われると正直困ってしまいます。つい「えー、外に行って友達と遊んでよ」と邪険にしてしまうこともしばしばあります。それでも親子の関わりが大切だということには賛成なので、私自身が好きな「学び」と子どもが楽しめる「遊び」の接点を見つけようというのがこのブログを始めた動機です。

ただ実際に「学び」と「遊び」を結び付けようとすると困ってしまうのが、「学ばせたい」という親の欲がつい出てしまうことです。すると子どもは敏感にそのことを察知し、せっかく苦心して用意した遊びの場にそっぽを向いてしまう、ということが何度もありました。

キッザニアを作った著者から見た「遊び」

そもそも「遊び」ってなんだろうなあと悩んでいたときに読んだ一冊が『あそびのじかん~こどもの世界が広がる遊びと大人の関わり方』という本です。著者はキッザニア創業に携わった、しみずみえさんです。キッザニアに勤務する前はおもちゃメーカーでおもちゃの開発をされていたそうです。また海外生活や絵本の読み聞かせのボランティアなどを通じて観察した大勢の子どもたちの遊びの風景や遊びのしかけを紹介しながら、子どもたちがどんなポイントに夢中になっているのかを解説してくれています。それぞれの事例を読みながら、「そういえば子どものころそんなことが楽しいって思っていたよなあ」ということがいくつもあります。

ひとつ遊びのしかけとして面白いと思ったのは著者のしみずさんが住んでいたボストンにある「チルドレンズ・ミュージアム」の例です。しみずさんによるとチルドレンズ・ミュージアムは

こどものための博物館というよりも、こどものための遊び場という印象に近い

のだそうです。子供向けの博物館や科学館で遊びを通じて科学現象を体験できる施設が増えていますが、ボストンンのチルドレンズ・ミュージアムもそのような施設のようです。特徴的なのはボール遊びやシャボン玉遊びを通じて「物理的な興味を喚起」仕掛けがたくさんあるだけでなく、

子どもに対しての余計な説明がいっさいなく、理屈抜きで自由に楽しめる

のだそうです。このエピソードを読んで横浜にある「はまぎん子ども宇宙科学館」を思い浮かべました。「はまぎん子ども宇宙科学館」の3Fにある「宇宙トレーニング室」もトレーニング室という名前にはなっていますが、大きな屋内プレイランドという印象です。それぞれのしかけに説明はほとんどなく、例えば下からふいてくる上昇気流にボールを載せたり、ボールを転がして的に当てたり、からくり屋敷のような空間で重力を体験したり、遊びながら知らず知らずに色んな科学現象を体感することができます。何より、単純に面白いので、我が家の子どもたちも汗だくになりながら遊ぶ大好きな施設です。「そうか、理屈の要素をあえて排除しているから、はまぎん子ども宇宙科学館は楽しいのだな」ということがこの本を読んで改めて理解することができました。

遊びに「目的」はない

この本を読んで特に胸に響いた言葉があります。それは遊びは

目的はないけれどわくわくすること

という説明です。

そうか!遊びには「目的」があってはいけないんだ。「目的」がある瞬間、子どもにとっては遊びではなくなってしまうんだ。そのことを私の子どもは敏感に感じ取っていたんですね。

ちょうど1年前、友人たちと月に1回子ども向けのワークショップを開催していました。年間を通じて遊びの要素を入れながら「作文」や「アート」「プログラミング」「お金」などのテーマを学べるワークショップを月1回行いました。時にはハワイ天文台で働いている日本人の方とSkypeでつないで宇宙の話を聞いたりしたこともあります。毎回、参加した子どもたちは目をキラキラさせながら話を聞いたり、ワークに取り組んでくれました。でも実は一番子どもたちの目がキラキラした瞬間はプログラム前後の「自由時間」だったのです。

参加者は毎回少しずつ変わりますが、常連の子どもたちはだんだん顔なじみになります。すると自由時間でも自然発生的に子どもの遊びが始まります。その「余白の時間」の子どもたちは300%笑顔。「楽しいー!!!」という気持ちを全身で発して、様々な遊びをはじめます。

もちろん、自由時間用のおもちゃなどは用意していないので、鬼ごっこしたり、誰かが持ってきたゲームにみんなで群がったり、ホワイトボードにお絵かきを始めたり。プログラム終了後のランチタイムにはファミリーレストランのドリンクバーでいろんなジュースを混ぜ、新しいジュースを開発しては出来上がった酷い色のジュースにみんなでゲラゲラ笑ったり。幹事としてはせっかく準備したプログラムより自由時間のほうが盛り上がっていることにガックリしつつも、次第に「まあこれで良いか」と思うようになりました。

きっと目的がないからこそ、そのプロセスで色んな試行錯誤をして、そのプロセスも丸っと楽しんでいるのですね。むしろ大人の用意する「目的のある」プログラムやおもちゃは子どもの可能性を枠にはめて、成長の幅を狭めてしまっているのかもしれません。

この本を読んで「遊び」の本質に少し近づけました。「子どもの遊び」は子ども時代しかできません。欠けがいのない子どもの遊びの時間を少しでも記憶に多く残せるよう「目的なくわくわくする」時間を子どもと一緒に過ごしていきたい思います。